御誕生大祭 1月5日

明治以前はすべて旧暦で12月14日祭神應神天皇御降誕の日で年一度の大祭が行われていました。
誕生会・御降誕祭とも言われていました。同じ御祭神をお祀りする福岡市東区の筥崎宮においては新暦の12月14日、御降誕祭としてお祭りが奉仕されています。

明治天皇様の祖父であられる仁孝天皇様の御誕生に際し、宇美八幡宮の「誕生祭」当日に安産祈願に参拝された模様が神社の宝物「子安の木」と題した本の中につまびらかに記されています。
その概略を紹介しますと
『仁孝天皇は光格天皇の第四王子、御生母は中宮東京極院藤原娟子である。寛政十二年正月二十三日の御出産である。ご出産に際し内勅の使として司馬中務なる人物を福岡へ下向させることとなった。路用金拾五両、用心金拾五両合わせて参拾両をもって香椎-箱崎-亀山を経て、宇美へと急ぎに急ぐ道中記は全く面白い。中務は神慮の然らしむる所か十二月十四日は應神天皇御誕生の日に当たり、しかも千六百年祭のその日にあたると香椎で知って三十余人のせり籠を箱崎で雇入れ、ひた走りに走らせて午后四時頃宇美八幡宮へ着くと直ちにその辺の寺々に触れさせて晩鐘を撞くことも待たせ、「よし日は暮れても晩鐘の鳴らぬ間はまだ日の内」と神前に天子よりの御初穂全二百疋中宮よりの金弐両、子安縄の白羽二重一畳其の他を添えて供えた』 と記されています。

宮中より安産祈願に下向の日が偶然にも「誕生祭」の大祭の吉日であった事を物語っており、当時の「御誕生祭」の模様を垣間見ることが出来ます。 明治の官制により1月5日を年間を通じての例大祭「御誕生祭」と定め、祭典が執行されることになりました。